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魂の行方、国の行末 無動来西
遺族の遺言

遺族の遺言 その2

本間 尚代

  音楽法要と言う英霊商売

 平成16年(仮参集殿の時のことです)、第3回靖国神社音楽法要、参加費3万円振込先三菱UFJ銀行四日市支店と書かれたチラシを、私は国立市のある講演会の会場受付で見て、全部持って帰りました。
 翌日の夕方、靖国神社社務所に行き、受付で、「お尋ねしたいことがある。」とチラシを見せました。出てこられたのは小方孝次さん(確か一昨年退職)でした。
「一か月先の事なので、この法要をやめてください。」と申し入れました。ところが、「お金を受け取っているので、やめる訳には行かない。」というのです。いくらもらったかと聞くと40万円というので驚きました。
 何か変だなと感じ、四日市市在住の「曙光会」の会員に調べてもらいました。すると、靖国神社には50万円支払ったと言っていると、知らせてくれたのです。
 私は再び小方さんを呼び出し、50万円のことは伏せて「私が靖国神社に40万円払うから、和田仙心に返してください。」と頼んだのです。
 父の戦没地、フィリピン通いが多く、一銭も余裕はありませんでしたが、和田仙心のような怪しい人物に神殿を穢されまいと必死で食い下がりました。
 その2日後、四日市からミカン箱くらいの大きさの箱が送られてきたのです。開けてびっくり、何と手かざしやら、何やら霊的なことの書かれた本、また横文字の分厚い本がぎっしりと入っていました。翌日、重い箱を車に積んで小方さんに返しに行きました。飛んで出てきた小方さんは、「本間さんにお断りをしなければと思っていました。若い職員が住所を教えたのです。」と自分の立場を庇う見苦しい言い訳をしたのです。「言い訳は見苦しい、聞きたくもない、たとえ若い人が教えたにしろ、責任は上司であるあなたにあるのです。若い人が知るわけもなし、あなたが教えたのです。こんなもの送られても迷惑です、あなたから返してください。」と置いてきました。
 そして何日か後、ある会合で出会った「保守」と思っていた男性2人に経緯を話しました。「とんでもないことだ、辞めないのなら私も何とかするし、当日行ってみよう。」とそれぞれと約束をしたのです。勿論、私は当日乗り込むつもりでした。当日、約束の時間になっても二人とも現れません。やっぱり腰が引けたなと思いながら仮参集殿の受付に行きますと、受付の女性が「今日は貸し切りなのでどなたも入れません。」と阻まれました。私は強引に戸を開けて「小方さんを呼びなさい!」というと、聞こえたのでしょう、三井勝生さんと2人で飛んできました。そこには和田仙心の受付があったのです。二人は「皆様の待合室は2階です。ご案内します。」と何とか私をその場から動かそうとしているので、「私はここで結構です。」と受付の後ろで見ていたのです。近くには、当日払いの人が何人かおりました。
 時間になって、三井さんを先頭にうこん色の袈裟を纏った和田仙心が続き、30人位が拝殿に入ったので、私もついて行き、入り口に座りました。そこで気付いたことは、いつもと違い若い神職さんは二人しかいないのです。私の横には一人監視の為でしょうか座りました。
 そのうち破鐘(われがね)のような音がして音楽が始まったのです。和田仙心と頭に読み込んだ唄でした。騒音が止まると和田仙心は、御鏡に背を向けて信者だか患者だかに向かって九字を切ったのです。そして話が始まりましたが、そのうち事もあろうに、靖国神社の拝殿で中国と韓国の市民に多大なご迷惑をおかけした、と謝罪を始めたのです。思わず飛び出してマイクを引っ手繰ろうと腰を浮かせたのですが、見届けなくてはと思い直して、じっと辛抱し座り続けました。そして見回すと、小方・三井・山口建史さんの3人しかいないのです。おかしいと思ったのです。恐らく宮司南部様はご存じなかったことでしょう。
 怪しげな商売の宣伝を終えると、三井さんが和田一行を神殿に案内を始めたのです。エッ!こんなのを神殿に昇らせるの?と英霊のことを忘れた3人に怒りがこみ上げてきました。私の後ろにいた小方さんが「私にも・・・」と促しましたが、堪忍袋の緒が切れ、「どうしてあんな人を神聖な場所に上げるのか!」と声を荒げてしまいました。天井にひびが入ったろ、塩をまいておけと廊下に出ました。小方さんがのこのこついてくるので、まさか来月の会報に「音楽法要」とは載せないでしょうね、奴らはそれが目的なんだから、と釘を刺したつもりが、何と次の会報に和田仙心音楽法要を載せたのです。今でもその時の悔しさは忘れることができません。
 その後、第4回音楽法要と言うのは会報に載らなくなったと思います。ただ私が知らないだけで続けていたのかも知れませんが、3回目で中止になったと私は思いたいのです。
 2回目の様子を文芸春秋に、『靖国神社に巣くう怪僧X』と書いてくださった産経新聞の宮本雅史様に、お目に掛かりたいと思いましたが、間もなく沖縄支局に異動されてお会いする機会はありませんでした。
 山口建史・三井勝生・小方孝次3人の神職は、拝殿の中でのとんでもない法要や挨拶の中で、中国・韓国に阿った言葉を聞いても、御祭神に対して申し訳ないとも思わず、鴨が葱を背負って来てくれたとでも思っていたのでしょうか。
 明治天皇から御皇室につながる靖国神社に、このような神職が上にいたのでは、英霊に仕えようと志を抱いて奉職した若い人が、伸びる訳もなく気の毒です。
 靖国神社が明らかに和田仙心の「英霊商売」に手を貸したことを、私は絶対に許すことができず、神前で手を合わすたびに今でもその時の光景が浮かび、御祭神にお詫びをしてから感謝を捧げています。
 京都家元での研修会の折、和田仙心の寺と称する四日市の観蔵院の本山である御室の仁和寺を訪ねました。家元の所は、妙心寺の塔頭の一寺ですから、近くでもあり有名な御室の桜(丈の低い桜です)を見物したりと、仁和寺には何度もお参りしているのです。宗務長さんに和田仙心のことを尋ねますと、仙心についてはいろいろと問い合わせもあり、当時の記録にもなくこちらとしても困っていると言われました。廃寺を250万円で買ったとの噂があると地元の会員からの話でした。
 仁和寺は皇室の御寺の一つでもありますから、和田仙心によって皇室と靖国神社は穢されたのです。
 平成16年10月号の文芸春秋に掲載された『靖国神社に巣食う怪僧X』を参考のため全文紹介します。

 

靖国神社に巣くう怪僧X
(BUNGEISHUNJU 2004.10)

 宮本雅史(ジャーナリスト)

  金を集めての仏式法要をなぜ「靖国」は許すのか

 59回目の終戦記念日を迎えた8月15日。東京は雨模様で、40日間続いた記録的な真夏日も小休止した肌寒い1日になった。時折たたきつけるような雨の中、東京・九段の靖国神社には朝早くから、引きも切らず参拝者が訪れた。「宮城」「山形」「広島」と全国各地のナンバーの貸切バスが次々と到着する。男性は背広、女性は喪服といった正装姿のお年寄りが大半だ。孫なのだろう、若い男性に抱えられるように神社に向かう老婆がいる。雨の中を、車椅子を操りながら参道を急ぐ人がいる。どの遺族の目も、本殿を真正面に見据えて進んで行く。
 靖国神社には、約250万柱の英霊が祀られている。英霊は、先の大戦で戦死した軍人や文官だけではない。幕末の志士や戊辰戦争、西南の役の受難者も祀られている。時代は異なれども、祖国の繁栄と平和を願って命を捧げた同胞が、靖国の杜を護っているのである。
 参道を急ぐ老いた遺族の姿を眺めるうち、ある歌が浮かんだ。昭和14年の大衆歌謡「九段の母」(作詞・石松秋二、作曲・熊代八郎)である。
 空をつくよな 大鳥居/こんな立派なお社に/神とまつられ もったいなさよ/母は泣けます うれしさに
 日本には、伊勢神宮をはじめとする八万社がある。しかし、参拝者がお参りをして涙を流す神社が靖国のほかにあるだろうか。私には「九段の母」こそ、靖国神社の原点を象徴するように思える。
 靖国通りを隔てた日本武道館では、天皇皇后両陛下をお招きして、恒例の戦没者追悼式が開かれている。いずれも毎年恒例の、終戦記念日の風景である。
 ところがこの日、靖国神社ではちょっとした“騒動”が持ち上がっていた。

  狼狽する靖国神社

 参拝者の対応い追われる社務所内部に、ひそひそ声の相談が飛び交った。
 「マスコミが色々調べているらしい」
 「妙に書き立てられるとまずいから、中止させた方がいいのではないですか」
 「中止の理由はどうする」
 「他の宗教法人から、特定の法人を特別扱いするのはおかしいという抗議をを受けた――ということにすれば」
 「しかし、中止となると、受け取ったお金は返さないといけません。すぐに経理手続きをした方がいいですね」
 靖国神社を“狼狽”させたのは、1週間後の8月21日に予定されていたある法要だった。靖国神社のなかで、仏教僧が自ら法要を行うというのである。
 この宗教法人は、三重県四日市市郊外にある「真言宗御室派観蔵院」という。住職の和田仙心氏は元商社マンで、真言宗で得度した後、10年ほど前に廃寺を譲り受けた。特定の檀家は持たず、「難病を治す寺」として加持祈禱を中心に宗教活動をしている。同寺のホームページに、靖国での法要の案内があった。
 <和田仙心和尚は英霊のお導きにより、毎年8月いずれかの週の土曜日、靖国神社の拝殿に於いて「祈りの場」を持たせていただくことになりました>
 <法要の前半は英霊の方々への供養と感謝、国と皇室の安穏。後半は参加される方々のために、英霊の御加護を得て身体健全、家運隆昌、事業繁栄、福徳円満、諸願成就の祈りをさせていただきます>
 <靖国の「祈りの場」で自分の想い・願いごとを率直に念じてみましょう。自然の理・宇宙の律にかなった想いは現実化していくものです。「英霊の方々の加護を受けて成就していく」という観念をベースにして念じて下さい。どうぞ参加して下さいますように!>
 法要の参加費は1万8千円。それとは別に、5千円以上の玉串料を、靖国神社の受付に当日納めるようにとある。
 この和田氏主宰の法要には、遺族や戦友、崇敬者らで組織された靖国神社崇敬奉賛会の間から、疑義の声が出ていた。
 なぜか。
 靖国神社は、国家存亡の危機に一命を差し出した英霊に感謝し、慰霊をするための場所である。しかし和田氏は、玉串料とは別に、参加費を集め、参拝者自身の繁栄などを祈願するという。靖国神社の名前を利用してお金を募ろうという“意図”があるのではないか。
 「この和田仙心は、すでに昨年11月に拝殿で前代未聞の『音楽法要』を行っています。靖国神社からお墨付きを得て、毎年8月に同じような法要を実施するというのです」(崇敬奉賛会関係者)
 もう1つ、疑問がある。そもそも靖国神社が、拝殿のなかでの他宗教の活動を認めるものだろうか。
 靖国神社には「拝殿」と「本殿」がある。参拝の順路に沿って説明しよう。大鳥居と二の鳥居をくぐって参道を行くと、菊の御紋章がついた神門がある。なかに中門鳥居があり、正面が「拝殿」である。菊紋の幕がかかり、賽銭箱がおかれている。拝殿の前を社頭といい、普通はここで参拝する。拝殿にあがるのは、戦友会や遺族会などの団体参拝が主である。さらに拝殿の向こう、靖国神社の最深部が「本殿」であり、英霊が祀られている。本殿にあがるには、昇殿参拝を申し込まねばならない。
 つまり誰でも自由に参拝できるのは神殿前の社頭までで、「拝殿」も「本殿」も靖国神社の許可がなければあがれない。その神聖な区域に他宗教が入り込んで活動するというのは、不条理ではないのか。私は靖国神社関係者に事を糺していった。
 靖国神社はこうした声を無視できなくなったのだろうか、終戦記念日の“中止騒動”となった。靖国神社の対応はすばやかった。15日のうちに和田氏に中止を申し入れ、仏式法要は流れた。

  靖国神社で独自の宗教活動?

 それでは、靖国神社がお墨付きを与えた「音楽法要」とはどんなものだったのか。行われたのは、昨年11月24日。案内状によると、和田氏は賛助金として1口5万円以上を集めている。中止になった法要よりずいぶん高額である。また、このときも玉串料として5千円以上を靖国神社に納めるよう求めている。「音楽法要」の模様を、当日の録音と参加者の証言から再現してみよう。
 まず、拝殿から本殿にむけて、密教の祭壇が設けられた。尺八の音が流れる中、黄色の法衣姿の和田氏がこの祭壇に座り、弟子とされる8人の僧侶が横一列に鎮座した。約80人の参加者も、和田氏らの後ろに入場する。靖国神社の神職によるお祓いを受けた後、尺八による「海ゆかば」の演奏をBGMに、和田氏がバンドのメンバーを紹介し、音楽法要の願文を読み上げる。
 バンド演奏が始まった。ギターやキーボード、ドラムが大音量で響くなか、岡田ユキさんが自作の「遥かなる時を超えて」という歌を披露し、さらには和田仙心のテーマ曲という「1和、2田、3仙、4心」も演奏された。「音楽が流れるなか、和田氏は真言密教の印を結び、無言で英霊に念を送っていました」(音楽法要の参加者)。
 演奏が終ると、和田氏は五鈷杵(ごこしょ)という密教の法具を参加者の方に向け、いわゆる加持祈禱をおこなった。その後、一行は本殿に移動し、和田氏が代表して、神式により玉串を奉納したという。
 時間にして約1時間。約80人が参加したというから大成功だっただろう。しかし、一部始終を目撃した崇敬奉賛会関係者の1人は声を震わせた。
 「普段は団体参拝でも、よほど偉い方でない限り他の人も一緒に昇殿参拝できます。ところがあの日は、拝殿の入り口で巫女さんが関係者以外をシャットアウトしたのです。拝殿には神職の方が何人かいましたが、まるで和田氏の一行をガードしているような雰囲気でした。演奏は拝殿の天井が落ちるのではないかと心配するくらいうるさく、何よりもビックリしたのは、和田氏が連合軍の兵士らを供養すると祈禱をしたときです。私は思わずひれ伏して英霊にお詫び申し上げました。だって、靖国神社は日本のために殉じた英霊をお祀りする場所ですよ」
 靖国神社の神職たちは、ただ黙って眺めていたのだろうか。いや、事実はさらに驚きを禁じえないものだった。
 音楽法要の後、近くの九段会館で親睦会が開かれた。靖国神社の三井勝生権宮司が、法要はもちろんこの親睦会にも参加していた。権宮司は宮司のすぐ下のナンバーツーである。いわば神社を代表する神職だが、親睦会でこのようなコメントをしているのだ(和田氏の德山会会報「光まんだら」より)。
 ≪今回のような「音楽法要」は本来ならばお断りさせて戴いていたと思います。(中略)和田先生の「願意」は、見事に法要の趣旨を英霊に語られており、岡田ユキさんの歌も神・仏・基の三つの宗教を融合され、宗教を超えて日本の安泰と世界の平安を歌いあげられ、これならば出来ると思い、あとは安心して「音楽法要」の中にひたっていることが出来たのです≫
 ≪皆様方は、和田先生の修される、真言密教の秘法「大元帥明王法」によって、修法して戴き、難病治療の素晴らしい効果を体験された方、或いは強大な威力をもつ「大元帥明王法」の鎮護国家の法力に共感される方々であると存じます。和田先生の御祈禱と皆様方の念じられた力と相合わさって、英霊の大いなるいさおし(功績)を称え、英霊もそれに感応し給うた、という証しを確知された方々も多数おられることを知りまして、この「音楽法要」は、大成功であったと思った次第でございます≫
 三井権宮司の言葉からは、音楽法要への率直な賛美が伝わってくる。しかしなぜ和田氏の“法力”を認めたのか。
 ≪療法家の達人であります鈴木大吉先生が「和田和尚の祈禱は、確かに効く」とおっしゃったことを、聴いていた私は、その後、和田先生と懇意にさせて戴き(略)≫とコメントしていることから、推薦者がいたようである。ちなみに和田氏の“法力”を推奨した人物は「波動測定器」なるもので病気を診断、治療するという。“波動”や“法力による難病治療”をそう簡単に認めてよいものなのか。
 音楽法要への大きな疑問のひとつ、「神社内で他宗教が活動すること」についても三井権宮司は明確に述べていた。
 ≪靖国神社の拝殿に於いては、いかなる宗教方式で祈願されても結構でございます。祈願終了後は、本殿におきまして、神式で玉串奉納をして、拝礼をして戴ければ、いつでも受付させて戴いております。これは、御祭神が、神道、仏教、キリスト教等の信仰をもっておられた方々でございますので、どなたでもご自由に祈願を捧げていただきたいという神社の基本方針でございます≫
 そんな基本方針が決まっていたのか。神社本庁関係者がこう解説する。
 「靖国神社では昇殿参拝を申し込めば誰でも本殿で祈ることができますが、そもそも普通の神社では神様のいる本殿には上がれません。靖国神社はご祭神が英霊であるという特殊な神社であり、戦前は軍が統括していたので祭式も他の神社と微妙に違います。本殿と拝殿との区別も明文化されていない。ですから、基本方針が時代によって変わっても不思議はない。ただ、本殿も拝殿も神社の中心部分であり、お祓いを受けて神職の指揮下でお参りするのが大原則です」
 前出の崇敬奉賛会関係者が振り返る。
 「たしかに拝殿で、鎮魂の意味を込めて歌を歌ったり、献茶をしたりお香を焚く例はあります。ほかの宗教団体の方が参拝されることもあります。でもキリスト教徒の方は、ほかの参拝客に迷惑にならないようにと、賽銭箱の近くで肩を寄せ合って讃美歌などを歌われています。昔、お坊さんの団体が大きな声でお経を上げながら参拝に来られた時も、代表の僧侶だけが神職の指示に従って神式で参拝され、ほかの方は神門の外でお待ちになっていました。こうした基本例は、神社内の記録にも残っていますが、今の神職は目を通していない のでしょう。和田氏のように僧侶が拝殿で個人的な祈禱をするのは次元が違う問題で、靖国神社をのっとられた気持ちです」
 たとえ拝殿の使用に明確な規則がなく、その時々に弾力的に対応しているとしても、疑問は残る。
 ①拝殿での祭祀は神職の指導によるべきだが、和田氏が密教の加持をするなど全体の進行を取り仕切っている。
 ②和田氏を賛美する曲が歌われている。
 ③靖国神社を名目に、参加者から高額な賛助金を集めている。
 和田氏は、靖国神社を独自の宗教活動の場として利用した可能性が高い。結果的に、神聖な拝殿が“場所貸し”されたことになるのではないか。

  怪僧の正体

 2度目の法要が行われるはずだった8月21日、単身上京した和田仙心氏に接触した。剃髪した頭にベレー帽をかぶり、紫色のマオカラ―のシャツにダブルのスーツを着こなした和田氏は予想以上に饒舌だった。
 「中止の理由は、三井権宮司から『マスコミにとやかく書かれると和田さんが困りますよ』と言われたからです。昨年の音楽法要も今回の法要も、靖国神社には20万円を事前に納めています。まあ場所代のような意味のもので、今回は中止なので返してもらいました」
 さほど無念そうでもなく中止を語る和田氏は、法要への経緯をこう語った。
 「昨年5月、ニューギニアから持ち帰った戦闘機『飛燕』のエンジンを靖国神社に寄付したのがご縁で、三井権宮司に法要の許可を頂きました。三井権宮司とはうまく波動があったんでしょうな。私どもが5万円の賛助金を集めること、玉串料を5千円以上にすること、拝殿で参加者にお加持をすることや祈禱の文章については、全て事前にファックスで神社に許可をもらっています。靖国神社にしっかりと理解してもらったわけですよ」
 靖国神社のお墨付きで法要を行ったことへの自信が窺える。
 「私の発するエネルギーに喜んでいる英霊の姿が見えましたよ。連合軍兵士への回向がいかんというのは、見えない世界を分からない人が言う言葉です。英霊にちゃんと断りを入れているので、英霊たちは喜んでいた。しかし、それは私にしか見えないことだね。拝殿では、国が栄えるようにと英霊たちに頼みながら祈り、参列者の幸福はグーッと最後に全部まとめちゃうんですね。神職は手伝いというか立ち会っただけで、神職も私のエネルギーを感じ取ったはずですよ」
 和田氏の説明はどうしても、加持祈祷による難病治癒の成果の話にむかう。
 「私はエネルギーを飛ばせるから、遠隔治療もできます。加持祈祷の費用は1ヵ月で10万円。1日あたり3333円だね。4ヵ月遠隔治療を受ければ細胞も入れ替わりますからね、癌も治ります。あなた、悪いところない?今祈ってあげるよ、すぐ効果が分かる」
 うっかりすると和田氏の世界に引き込まれそうである。しかし、靖国神社の名前をつかった金儲けではという質問には、強く抗弁する。
 「たしかに昨年の音楽法要では、575万円ほど集まりました。しかし、20万円を靖国神社に納めたし、100万円近くが上京などの経費、470万円を音楽スタッフに支払ったから赤字ですよ。儲けるつもりはなかった」
 では和田氏には、靖国神社で独自の宗教活動を行った自覚はあるのか。
 「我々を前例に、他の宗教もどんどん拝殿で法要をすればいいと思いますよ」
 そうした前例のひとつとして、和田氏は奈良の薬師寺を例にあげた。ホームページでも「靖国での仏式法要は薬師寺の高田好胤師に次いで2人目。真言宗では初めて」と記している。有名寺院の名前による一種の権威付けでもあろうか。
 しかし、村上太胤薬師寺執事長に確認したところ、事実関係はまったく異なるという。
 「故高田好胤管長は平成5年と7年に信徒の方々と靖国神社に参拝されましたが、拝殿で仏式法要などありえません。千鳥ヶ淵戦没者墓苑では仏式法要をしましたが、靖国神社では法衣も普段着にあたる真衣に替えましたし、もちろん祭壇や花などの設えもない。神職の方々の指示どおり本殿にて神式の正式参拝をしました。たしか拝殿で般若心経をあげましたが、それは『仏前では花の御経、神前では宝の御経』とされているためで、他の神社に参拝したときも唱えます」
 結局、和田氏を知る三重県内の真言宗の僧侶の言葉どおりなのではないか。
 「観蔵院は靖国神社という威厳を利用して、お客さんを集めたというこっちゃ。靖国ならだれでも知っておろう。そんな立派な場所で祈禱をしたとなれば、これはえらい人やということになるからの」
 靖国神社側に説明を求めると、権宮司2人が即座に対応した。うち1人は、音楽法要に出席した三井権宮司である。
 「靖国神社には生前にさまざまな宗教宗派をもったご祭神が祀られていますので、本殿で神式の参拝をしていただければ、拝殿での祈願は形式を問わないという方針です。ですから音楽法要は許容範囲だと思って受け入れましたが、結果として音量などで不適切なことがあり失敗だったので、次回にむけて和田さんに申し入れをしました。しかし、和田さんのテーマ曲が演奏されたことは知りませんでしたし、5万円の賛助金については、私どもにさまざまな情報が入り、誤解があっては困るということで中止を申し入れました」(三井勝生権宮司)
 「お坊さんが何人かで読経されることや、広場で修験道の方が護摩をたかれたこともあります。神仏混交が日本の伝統である以上、靖国の側が排他的になるのはのぞましくない」(山口建史権宮司)
 和田氏と靖国神社側の説明は、5万円の賛助金を事前に了承していたかなど肝心なところで食い違う。しかし両者に共通するのは、特定の宗教団体がお金を集めて、拝殿で独自の宗教活動をした――ということへの問題意識の希薄さだ。
 私は、靖国神社や靖国神社崇敬奉賛会の複数の関係者に意見を求めてみた。すると一様に、一瞬耳を疑うような表情で「知らなかった」と驚き、こう嘆くのだ。
 「昔の宮司がよくおっしゃっていたことですが、靖国神社の祭祀は、英霊にお願いをする場でも、ご利益をもらう場所でもない。自分の決意を英霊に誓う場所なのです。こんな法要をどうして許可したのか理解できない」
 「まるで他人の軒先で商売をするようなもの。靖国神社の名前を使った商売には注意しろと言ってきたのに。起きてはいけないことが起きてしまった」
 三井権宮司の文章を読んだ戦友会関係者は、声を荒らげた。
 「これでは和田氏を賞賛し宣伝しているようなものだ。そもそも拝殿でいかなる宗教方式で祈願しても構わない基本方針とは、一体いつ誰が決めたのだ。靖国神社は変わったのか。英霊に申し訳ない」
 靖国神社の理解者である大原康男国学院大学教授も、拝殿ならば他宗教の方式での参拝はありうるとしながらも、「お金を集めて自分たちのために祈願するとなると、靖国神社を使って自分の宗教活動をすることになるでしょう」という。
 常日頃から靖国神社に深い関心をもつ人々でも、まったくこの実態を知らない。彼らが嘆くのは、知らない間に靖国神社が変容していくことなのである。
 かつては靖国神社の本質に厳しくこだわった宮司がいた。昭和60年に中曽根康弘元首相が公式参拝した際、“非礼参拝”だとして政府とやりあった松平永芳氏である。松平春嶽を祖父にもつ元海軍少佐で、昭和53年から約14年間にわたり宮司を務めた。退職後の講演会で、靖国神社のあり方をこう語っている(「諸君!」平成4年12月号)。
 「(靖国神社は)自分の父親や兄弟が祀られている、そういう神社だということです。ご自身のご縁のあった御霊がおいでになる。そこで語らいをされ、涙を流される。それが特色だ」
 まさに「九段の母」に歌われたとおりの原点である。
 「何か決断を要する場合、御祭神の意に添うか添わないか、ご遺族のお心に適うか適わないか、それを第一にしていこうということです。もう1つ、宮司になった以上は、命がけで神社をご創建の趣旨に違わず、また本来の姿で守ろうと決意した」
 松平氏はそのために譲れないこととして、3点を挙げている。
 ①日本の伝統の神道による祭式で御霊をお慰めする。
 ②神社のたたずまいを絶対に変えない。
 ③社名を変えない。
 原点は、受け継がれてきた伝統と精神を護り、次の世代に手渡すこと。神道を奉じる天皇のあり方を見ればわかるとおり、伝統の継承こそが、靖国神社の存在意義ではないか。しかし和田氏の仏式法要やそれに対する神職の考え方を見るかぎり、今の靖国神社では、時代に沿うという美名のもとに、前例のないことが安易に執り行われているのではないか。

  失われる本質?

 靖国神社は創立130周年の記念事業の一環として、祭儀所と参集所を改修した。最近になってほぼ完成した「新参集殿」の外観を見て驚いた。屋根の鬼板から神紋である菊花の紋章が消え、菊の中に桜を象った靖国神社の社紋がついているのだ。
 旧参集所には、明治2年の靖国神社の前身「東京招魂社」の創建時から、菊の神紋が飾られていた。130年間にわたる菊の御紋章をなぜ外したのだろうか。いまも靖国神社の国家護持を求める声があることに対し、菊の御紋章を外して、名実ともに一宗教法人になったと知らしめているのだろうか。
 新参集殿にはもう1つ、気になる変化があった。新参集殿は初の二階建てで、上階は参拝者の控え部屋になる。その窓が本殿より高いのだ。神様を見下ろす神社など聞いたことがない。
 靖国神社の山口権宮司に変化について訊ねると「以前は菊の紋でしたでしょうかね。変わったとすれば、菊の神紋は神様がいらっしゃるところにつけるので、参集所は人間のいるところだから、社紋にしたのではないでしょうか。ご本殿より高くならないことは重要ですから、新参集殿の二階から本殿の神座(神体をまつるところ)を見下ろさないように設計で配慮したはずです」という説明だった。なにか他人事のようである。
 しかし、新参集殿の建設計画に携わった関係者は真正面からこう反発する。
 「神紋については、我々も驚いた。設計管理会社が出してきた設計図を見て異論も出たようですが、神社の内部で議論することもなく、結局『靖国神社は一宗教法人なのだから』という設計会社の言うがままになった。新参集殿の構造についても、神社は何も考えていないのです。中に入ると、二階からはっきりと本殿を見下ろせ、参拝者の顔も見えます」
 先に触れたとおり、松平元宮司は、神社のたたずまいを絶対に変えないと自らを戒めていた。松平氏はその理由を、「われわれは『靖国の桜の下で再会しよう』と誓い合って戦地に赴いたのです。そのときのお社の姿を変えるわけにはいかない。たとえ何百億円寄進するから日光東照宮のような壮麗華美な社殿にしてくれといわれても、絶対に肯けない」
 と語っていた。しかし今や靖国神社はなし崩しに変わりつつある。他の宗教法人に神社内での独自の宗教活動を認め、建物は改造される。1つ1つは些細なことのようでも、いずれ神社の根幹にかかわる問題につながるのではないか。改めて問うと、前出の関係者はこう続けた。
 「観蔵院の音楽法要だけではなく、素性の知れない団体の昇殿参拝を安易に認めています。今の靖国神社には、どうあるべきかという共通の認識がなくなりつつあるのです。かつての宮司は、神職はゴルフをするな、神社での私語は慎めといい、外部との接触にも厳しかったのですが、そうした慎みやけじめがなくなった。ただ立派なハコモノを作って、たくさん人が参拝してくれればいいという発想です」
 しかも原因は神職や職員個人というより、創建から130年以上を経て、綻びが出てきた組織そのものだというのだ。

  制度疲労

 一般社会にも見られる制度疲労は、靖国神社もまた例外ではない。
 ひとつは人事制度である。かつては陸海軍が統括していたが、終戦後は一宗教法人となり、神社本庁の傘下に入らない単立神社のため、「人事などは最終的に宮司の采配次第。宮司の方針に反対すれば配置換えになる」(元靖国神社関係者)という。
 しかも、宮司は必ずしも神職でなくとも、総代会と責任役員会の承認を受ければいい。こうした人事制度の結果、靖国神社生え抜きの神官が減り、歴史と伝統を知らない神職と職員が増えているというのだ。
 財政事情にも変化がある。「靖国神社は、神職、職員を含めて120人の大所帯。人件費などを含めると年間17、8億円はかかる。しかもご遺族の数も年々少なくなり、奉納金も以前ほどは期待できず、台所は苦しい」(崇敬奉賛会関係者)という。これも、和田仙心氏の仏教法要を、来るものは拒まず受け入れる素因となっているのではないか。
 あいかわらず、マスコミや世論の関心は、閣僚の公式参拝や中国韓国からの批判など、政治問題に終始している。靖国神社のなかにまでこうした風潮に配慮する左派思想が入りこんでいるという声を聞く。7月の参院選挙の開票番組では、田原総一朗氏が唐突に、国立の追悼施設を建設すべきだと主張し、自民、民主の議員らの同意を強引に取り付けていた。
 しかし現実の靖国神社の、痛ましい姿については誰も関心を寄せない。外堀を埋められ、内部は制度疲労。「内憂外患」とでも言おうか。
 いま国家がなすべきは、国難に殉じた英霊に対しての感謝を忘れないよう、靖国神社を見守っていくことであろう。このままでは、靖国の杜は英霊の願いを抱えたまま、日本人の心から消えてしまいそうな、そんな不安を覚えるのだ。

 

 私は第3回音楽法要と書かれたチラシを見て、当日直接情けないとしか言いようもない体験をしました。文芸春秋の記事が手元になくなっていましたので、国会図書館でコピー致しました。こんなのを手引きした人が今の宮司様です。山口建史・三井勝生・小方孝次の3氏が靖国神社を壊した張本人であると松平宮司様がお嘆きと思います。

(令和2年2月23日記)

izokunoyuigon
honma takayo
vol.2



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