遺族の遺言 その16
本間 尚代
艦砲射撃
房総半島の南端、千葉県白浜町白浜は母の実家のある所です。母の実家に行く時は、母か私が、1人ずつで出掛けるのですが、昭和20年7月18日、この日は母と末妹が一緒でした。虫の音だけの静かな真夜中、けたたましい空襲警報に起こされました。近隣数軒で作った防空壕が海側と山の根元にあり、艦砲射撃の時は海の防空壕へ、空襲の時は山の防空壕へと日頃から聞かされておりました。艦砲射撃だから浜の防空壕だと口々に叫びながら、身支度を終えた者から駆け出しました。母は妹を背負い、荷物を大風呂敷1つにまとめ、祖母の手荷物をまとめて、風呂敷包みを横背負いに背負わせ、私は祖母が帯芯で作ってくれた大きなリュックを背負い、防空頭巾を被り、風呂敷包みを片手に下駄履きで外に出ました。
その時母に背負われていた妹が、両手で頭を抱え、ミッチャンの防空頭巾がないっ、と悲鳴を上げたのです。1歳11ヶ月、2歳にもならない幼な子でも、空襲警報と言うと防空頭巾を覚えているのです。私は悲鳴と同時に下駄履きのまま座敷に飛び上り、防空頭巾を掴んで飛び出し、妹に被せて門の外に出たのです。門を出たか、出ないかで、閃光が走り、耳をつんざくような爆音が轟いたのです。私の前を歩き出した祖母が、くにゃくにゃっとくらげのように身体が揺れたかと思うと、地べたにぺたんと座り込んで仕舞いました。閃光と爆音に驚いて気を失ったのです。母と2人でいくら声を掛けようが、揺すろうが、ピクッとも動きません。艦砲射撃の砲弾は頭上をビュン、ビュン飛んでいます。母は右手に持っていた提灯を私に持たせ、祖母の衿首を掴むと引きずり始めました。祖母は首をうなだれ、手をぶらんと下げ、両足を投げ出したまま引きずられています。小太りの祖母をいくら38、9歳と若かった母とは言え、6、700メートル離れた防空壕までよく引きずって行けたものと思います。防空壕に着いた時は、ヒューン、バーンと爆音と共に、ひっきりなしに飛んでいた爆弾も、たまにヒューンと飛んで来るだけで一応収まっていたのです。防空壕に着くと母が、祖母に活を入れたのでしょう、目を開けてキョロ、キョロと見ています。私はすぐに、水筒をあけて水を飲ませました。私は祖母が助かって良かった、怖い思いを知らないで良かったと安心したのです。
私は不思議に恐怖心はなくおばあさんを助けなくてはと無中でした。そして弾の下を潜りながら戦地は毎日、こんなかしらと父の身を案じていたのです。最初の爆音で恐ろしいのが掻き消えて仕舞ったのだと思います。空襲が解除され、口々に恐ろしかったと話をし、どこかのオバサンが、母に祖母を引きずって来られたのは「火事場の馬鹿力」って本当にあるのだなと話しかけているのが聞こえました。空がうっすらと明けて、外に出て海を見渡すと、輸送船か漁船かの残骸が、沢山海面を覆い、岩場にも打ち揚げられています。敵の軍艦の影も形も見えません。食糧の入った箱を拾ったと肩にかついで通る男の人がおりました。
私は祖母のお墓に行くと艦砲射撃の日のことは思い出してはいたのですが、だれにも話したことも、その後のことも尋ねたこともありませんでした。記録の残っていないことも今度始めて知りました。東京大空襲のことを書くのなら「艦砲射撃」もと、私なりに訪ね歩き、資料を探したのですが、国会図書館でも分かりませんでした。ある日小原悦子さんからの電話に、艦砲射撃って聞いたことがある?と尋ねて見ました。早速ネットに「白浜の艦砲射撃が載っていましたが、この事でしょうか」とコピーを送ってくれました。平成36年8月13日付東京新聞に「白浜の艦砲射撃、爆音轟く240発、23人死傷」と記事が載っています。早速、国会図書館に行きコピーを入手しました。従妹にも聞いてみますと恐ろしかったので良く覚えていると話してくれたのですが、新聞の記事とは地区も違うので、忠魂碑のことは知りませんでした。私が次に行くまでに調べておいてくれると言いますので、できれば年内に祖母のお墓参りと、忠魂碑にもお参りをと思います。
それに致しましても米軍の砲弾が、山の上にあった白浜城山レーダー基地に届いていたら、山火事がおこり、町中が焼野原となって、私たちもどうなっていたことやらと考えると、怖ろしいです。山の反対側にも村落がありますから、そちらにも被害が及んだのではないでしょうか。私は艦砲射撃のあった正確な日にちを初めて知りました。私たちが弾の下を掻い潜って逃げていた時、父も弾の飛び交う最前線にいて、2日後の7月20日に亡くなっているのは、偶然と思えず、父が命をかけて護ってくれたものとあらためて感謝を致しました。艦砲射撃のことは、館山市の安房文化遺産フォーラムの代表者が、国会図書館保管の米側資料『米国戦略爆撃調査団』の現地調査として「米国の攻撃の内容や日本側の被害」などが書かれていたとありましたので、私は膨大な資料の中に海洋国の日本は、白浜だけではなく、どこかに同じような被害に遭っている所がないかを調べているのです。どなたか私と同じ体験をされた方がいらっしゃいましたら、連絡をいただけましたら幸と思い、お願い申し上げます。
(令和3年12月記 開戦記念日を前にして)
izokunoyuigon
honma takayo
vol.16
