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魂の行方、国の行末 無動来西
遺族の遺言

遺族の遺言 その11

本間 尚代

  靖國神社の新春風景

 穏やかに明けた新年でしたが、昨年からの支那発コロナは衰えを知らず、いつまで居続けることか、予測も出来ない状態です。暮れの内から神社では第二鳥居の下まで三密を避けるために、参拝者たちの停止位置を地面に黄色いテープで印していました。参拝者の少ない神社では、英霊がお寂しい思いで新年をお迎えされると思うと申訳ない思いでした。
 三ヶ日をお参りして下さった人の話では、時間にもよるのでしょうが、大扉付近での人の列で見ると、いつもの年より随分参拝者は少なかったと聞かせてくれました。私は平成29年のお正月までは、どんなに混み合っても三ヶ日中の参拝はかかしませんでした。平成30年1月2日のこと、例年通り昇殿参拝をするべく朝早くに家を出て、参集殿で1時間以上待ちました。早くから待っていた私は、時間が来て拝殿に案内をされ、本殿には正面より少し右よりに案内をされて座りました。次々と案内をされる人たちでたちまちいっぱいになりました。すると神職から「皆さん立って下さい」と言われ、待っていた私たちは皆立ち上ると出口の廊下ぎりぎりに立たされました。どんどん詰め込まれ、まるでラッシュの電車内のようで、下げた手を動かすこともなりません。勿論身動きすら出来ないのです。そうこうしている内に、当然のように上段の左半分まで入れたので呆然とさせられました。そして神職が「今日は混み合っていますので、お榊奉納はありませんし、お名前も読みません、神職に従って拝礼をして下さい」と言われるのです。
 拝礼と言われましても手を合わせることも、頭を下げることもなりません。前の人の肩や、背中が邪魔になり頭も下げられない状態まで過密なのです。そして「本日はお参り有難うございました」の神職の言葉で廊下に押し出されました。
 本殿に上る時はコートを脱いでいる私は、下からの冷たい風にさらされて風邪でもひいてはと心配しましたが、父に護られてか、風邪をひくこともありませんでした。上段に入った中に顔見知りが3人おりましたので、下りて来たら声を掛けようと思い、参集殿で待ち構えておりました。新年の挨拶もそこそこに、いい年をして(私と同年の男性)畏れ気もなくよく神様の座に入ったわねと話しますと、「だってなー、神職さんが入れって言ったものなァ」と仲間と顔を見合わせて私の問いの意味も分らず、注意されたのが不思議だとでも言うように首を傾げているのです。その内、受付の前で年輩の1人の男性が、「あれで昇殿参拝と言うのかい。あれは遣らずぶったくりと言うのだ」と怒っています。言われた神職4人は意味も分らないのでしょう、ポカンとしていました。その男性はたぶん遺族だと思いますが、「もう二度と来ん」と足早やに出て行かれました。神職自身が大切な神座を知らなかったのでしょう。あそこまで詰め込まなくても参集殿で次の回は〇〇時になりますと言えば誰れでもが待つでしょう。同日最後の回と言われた人たちも同じ状態だったことを後で聞きました。午後3時半頃の事と聞いています。何の事はない、神様の御都合でも、参拝者の都合でもなく、神職の都合なのでしょう。自分たちのことを反省するでもなく参拝者が少なくなった、遺族が少なくなったと言われるのは心外です。そして私も翌年から早くても5日過ぎまでは参拝を辞め、父の名前の誤記誤読のことがあってから昇殿参拝も辞めたのです。
 御神前で心を込めてお参りをすれば、必ず英霊の皆様に通じていると信じています。2月1日にも一緒になった2人の体験を記します。毎日靖國の英霊に感謝と参拝をして下さる男性は、昨年10月21日、父の最後の様子を知って父の為にと昇殿参拝の申込みをして下さったのです。父の名前や続柄を見て血縁関係のない御祭神の名前は読みませんとにべもなく断られたと言われるのです。実際に奉納者の名前のみを読み上げたそうです。玉串料を納められたのですから、せめて「もろもろの神たち」でよろしいかと教える位の心遣いは出来ないのでしょうか。その時は5人の参拝者と聞いています。心あるその方に対する神社の冷たい仕打ちは詫びても詫びきれない思いで私は今もいるのです。その方の尊いお気持ちは有難く私がいただいて、今後は神前で、父の名前を祈って下されば父に通じます。私も昇殿参拝をしない理由を話して聞いていただきました。
 今後の参考に聞いておきたいと思い三回社務所を訪ねても、誰れもいないと言われるのです。余り時間が経ってからではいけないと思い、11月1日に、7日までと期限を書いて総務課宛に手紙を出しました。7日に神社から帰りますと回答申上げますと返信が届いておりました。「参拝受付の前、ご遺族の代理参拝を申し出の上、御祭神名奏上の申し出がございました場合は、ご希望通りの参拝をいただいております」と書かれておりましたが、私は初めて知りました。このようなきまり事があるのなら誰れにでも見える受付けに書いておいていただきたいと思いました。私はその男性が毎日参拝して下さるので申訳けなく心で手を合わせているのです。
 今でも地方から上京の折、忙しい時間を遣り繰りをして靖國神社参拝をして下さる若い人が5人はおりますが、父の為なら神前でのお参りで充分だからと話しています。その人たちは帰宅すると、神社での出来事を報告してくれるのですが、祝詞を間違えられた、一柱と言うべきところをお一人様と言われた、物を尋ねると私はペーペーですからと逃げられたとか呆れることが多く、聞き役の私が赤面するほど恥かしいです。
 昨年の11月1日には、お父様の祥月命日で昇殿参拝をした女性は、お父様の名前を書いた紙を見せてこう読んで下さいと言うと「言えません」と断られたと憤慨しております。その方のお母様は神社には随分奉仕をされ、彼女もそれを引き継いで来たのです。その日は8人の参拝者だったそうで、どちらも神職は1人だったと聞いています。その内1人の女性が私は名前を呼ばれていませんと言うとその神職は、手元の紙を見て8人を本殿に残したまま下に飛んで行って仕舞い、みんな呆然として言葉もなかったと参集殿から出て来ました。本殿に残された中の1人の男性が、私たちだから良かったものの、不心得者がいたら大変危険だと怒っておられたそうです。コロナが怖くて神職がいないのか、何組もの遺族が1人の神職だったと言うのです。昨年の8月15日、ある国会議員が1人での参拝の折、宮司、権宮司、総務部長の三役揃い踏みの出迎えに感激で涙したとその日のインターネットの記事に書いていたと友人からコピーが送られて来ました。靖國神社では、遺族と国会議員とどちらが大切なのか、山口宮司に尋ねて見たいと思っています。恐らくその国会議員は、英霊や、遺族がこれ程粗末に扱われているとは御存じないでしょうから、靖國関係の資料を揃えて送ってあげてと友人から言われるのですが、考えています。私もこの方ならと宛名を書いたレターパックは用意してあるのですが、決心をつけかねているのです。

 

(令和3年1月20日記)

izokunoyuigon
honma takayo
vol.11



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