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魂の行方、国の行末 無動来西

分分夜話 第9話 第1部 1-3

無動 来西

 21世紀を国は越えられるか
 ——終末植民地主義を克服する道——

 目次
  はじめに
  第1部〔8月18日公開〕

 1.譲位と個人と法律と

 2.山本七平著『現人神の創作者たち』
 3.前期水戸学の鋭鋒
  第2部〔8月25日公開〕
 4.崎門学と国学

 5.文部省作成『国体の本義』
 6.忘れられた植民地主義
  第3部〔9月1日公開〕

 7.日本の神(かみ)の諸相
 8.天主教の”でうす”は神か
 9.日本の神を蚕食した基督新教
  第4部〔9月8日公開〕

10.植民地主義から終末植民地主義へ
11.渡辺京二著『逝きし世の面影』・I
  第5部〔9月15日公開〕

12.渡辺京二著『逝きし世の面影』・Ⅱ
13.渡辺京二著『逝きし世の面影』・Ⅲ
14.渡辺京二著『逝きし世の面影』・Ⅳ
  第6部〔11月2日公開〕
15.招魂社の背後に欧米列強の植民地主義者の魔手が

16.勅裁を経て合祀される公務死、法務死の人々
17.A級被告の合祀と行幸批難
18.北白川宮能久親王と同永久王の合祀
19.終末植民地主義を克服する力 〔仮題、未定〕
20.御名代と御由緒物
    付篇:斎王の御本質と大御手代奉仕について
21.終章  神前にて
   参考文献

 

  はじめに

 わが国の近代史の始まりは、嘉永6年(1853)米使ペリーの浦賀来航以来、幕府がアメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスの強圧に屈し、祖法たる鎖国を捨て、通商条約を各国と結んだときに求められます。
 強圧とは16世紀以来の植民地主義国家による非近代の国家、民族を侵略する強固な意志のことです。
 尊王(皇)、攘夷、佐幕、勤王(皇)、いずれの立場に身を置くとしても、その脅威の震源は植民地主義国家すなわち、帝国主義国家の侵略を正当とする暴虐の意志にあり、白人をのみデウスに認められた人種と考えてきた宗教心意の驕慢にあります。
 幕末の多くの死屍の上に明治維新をなしとげ、近代化に邁進しはじめたわが国には、2つの大きな潮流があり、のちに大アジア主義と呼ばれるアジアへの共感を堅持する思想と脱亜入欧の語に象徴される、アジアを見捨ててでも自国の近代化を最優先と考える思想とがありました。維新後も数知れぬ死屍の上に近代化は進んで行きました。熊本の神風連の乱、西南戦争等々、いまだに詳細が判明しない多くの犠牲の上に、わが国はアジアで唯一近代化に成功した独立国家を創出することができました。
 日清、日露の戦役で勝利し、第1次世界大戦では日英同盟の誼みとは言え、ガンジーたちのインドの独立運動を見捨てることになるなど、いつしか、わが国も驕れる帝国主義国家の相貌を見せてきました。
 大東亜戦争とそこに至るまでの経緯にも、明治期の二大思潮の相剋はつづいており、「東洋平和のためならば」と唄っていた兵士、民衆とは異り、アジアの盟主たらんと考え、欧米列強の植民地主義者の強靭さを過小評価した結果、無残としか言いようもない敗戦を喫しました。一般市民を無差別に殺戮するという行為(ホロコースト)――広島・長崎への原爆投下、東京を始めとする空襲――を止め得なかったことが、敗戦後の精神の混乱と荒廃をもたらしました。戦前には正しい道義と見なされた思想のことごくは、戦後の経済成長を絶対正義とする思潮によって、刹那主義、利己主義の渦巻く汚泥の淵へと流されて行きました。
 幕末から大東亜戦争の敗戦までの期間を私は植民地主義と対峙した時代(反植民地闘争の時代)ととらえます。反植民地闘争としてのアジア諸国の独立戦争と同じく、大東亜戦争にも同種の意味があったことを忘れてはならないと思います。
 幕末以来国のために命を捨てて行った人々のために明治天皇は、明治2年に東京招魂社を創建し、永久にその御霊(みたま)を神としてお祭りすることをお定めになられ、その後明治12年に至ってそれは靖國神社と改名されました。現在ここにお祭りされる246万余柱の人々はすべて、植民地主義と対峙した時代に犠牲となった結果、歴代天皇が神としてお祭りすることを勅裁、またはお認めになられた方々です。
 靖國神社の御霊(みたま)に親しく歴代天皇が拝礼(親拝)されることによって、上御一人と一般衆庶との紐帯はゆるぎないものとなり、国民倫理として国のために捨命、捨身に到る行動が勝義とされてきました。御親拝を仰ぐことに加え、神社での厳正なお祭りが行われることによって、246万余柱の神霊の加護が国全体に及ぶことを信じてきました。
 しかし、昭和50年11月20日の靖國神社への御親拝を最後に、平成、令和の御代に御親拝を仰ぐことがなく、神霊の神威の衰退を憂えるばかりです。そのただ一つの解決法については、第20章「御名代と御由緒物」で提案しておきました。反植民地闘争の時代に、殉難、殉国、戦死された人々を丁重に正しくお祭りすることができているならば、現在の国民精神の基層を盤石にするばかりか、この後のなお一層の困難を克服する道程に灯をかかげることができると思われます。
 大東亜戦争が終わり、20世紀はアジアを始め独立国家誕生の季節となりました。しかし、植民地主義はその主を白人から自民族に替え得ただけで、その経済構造は改革されずに、貧困から抜け出せないばかりか、何を文明の義とするかといった思想は未成熟のままであると見られます。
 植民地主義の洗礼を受けた結果、およそ3つの体制の国家が見られることになりました。一つは、植民地主義に侵されていた時代からの根本的な脱出を果たせていない国々です。二つは、新植民地主義(ネオコロニアリズム)とも新帝国主義とも呼ばれる中国に代表される国々です。本稿では、この一と二は基本的に扱いません。わが国にとっては、最も緊急の重大事が次の三つ目であるからです。三つは、わが国が直面している終末植民地主義です。二つ目の国々もやがて、この分類に入ってくるでしょう。それは、環境破壊を未来の富を収奪する行為と考えることによって、今私たちは終末植民地主義の時代を生きていると認識することに他なりません。
 一例をあげますと原子力発電がその展型です。地球温暖化を防ぐためには、二酸化炭素の排出量が石炭火力発電に較べて、原発の方が圧倒的に有効と考えるような視野の狭い思考です。原発が稼働するまでには、ウラン鉱の採鉱、精錬、濃縮、加工といった過程での石油消費、発電所建設に伴う石油消費、30年ほどの稼働期間を終えたのちに始まる半永久的な高レベル放射能の管理に消費される予測できない大量の石油消費、これらの石油消費による炭酸ガスの量を誰も計算していません。たぶん石炭火力発電の方が炭酸ガス発生量は少なくなることは自明ですが、オイルメジャーやウランメジャーに魂を売ってきた者たちが政治家やジャーナリズムを騙してきた結果、未来の子孫たちが受くべき富を現代人が食いつぶしているのです。
 この気の遠くなる期間、計算もできないほどの量の石油の備蓄を先送りにすることによって、未来へ深刻な負担を課すことになる点で、戦後に肥大化した刹那主義の横行を今後、子孫たちは見つづけることになります。刹那主義というのは、自分が存命の間、豊かさを享受できればよいと考え、他者への負担や犠牲に無関心になることです。
 また、国債という未来の子孫たちからの借金もまた、終末植民地主義の特徴である未来の富を収奪する巧妙な方法です。環境破壊、環境汚染、生物種の大量の死滅等々、すでに『西暦2000年の地球』レポートが、21世紀の環境予測を米国国務省として示しており、原発の放射能(死の灰)のすべてが「事故を起こすことなしに、安全に貯蔵され、かつ処分されうるということは、いまだに証明されていない」とも報告されています。
 終末植民地主義の対極にあるのが、鎖国時代の文明です。石炭石油を使わず、穀物を社会経済の資源とする自給自足の文明、江戸文明(徳川文明)の中に、未来を救うための指標がいくつもあると思われます。渡辺京二著『逝きし世の面影』には、外国人観察者たちの記録した幕末から明治にかけて残存していた江戸文明の刻明な姿が、彼の詩的文章によって浮かび上がってきます。
 21世紀は、わが国にとっては終末植民地主義をいかに克服するかと問いつづける時代です。巨大コンビナートや巨大ビルなどの廃墟を目前にして、子孫たちはどのような未来を築いて行けるでしょうか。まして、新帝国主義国家との戦争も想定しなければならないとしたら、おそらく子孫たちは暗澹たる思いに打ちひしがれることでしょう。
 こののち、自身を犠牲にしてでも未来の子孫たちの安寧のために尽くしたいと願う人々が心の拠り所とするのは、おそらくこの反植民地闘争の時代に国のために殉じた人々をお祭りしてきた心意であり、その人々が神として子孫を見守って、時には勇気の灯を点けてくれることを願いつづけてきた歴史にあるのでないでしょうか。

 

 

  1.譲位と個人と法律と

 平成28年(2016)8月8日、「本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。」とビデオメッセージを語り始められた天皇陛下(現上皇陛下)は、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。」と結ばれ、譲位(退位)の御意思を「個人として」語られました。
 陛下の願われた通りに平成29年6月16日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」は公布され、令和元年(2019)5月1日、今上陛下が即位されることになりました。
 明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法と同格の法規として発布された旧皇室典範は昭和22年(1947)5月2日に廃止されるまで皇室の家憲とされていたことを変革し、現行の皇室典範は昭和22年5月3日に日本国憲法と同時に”法律”として施行されました。つまり、帝国議会が議決できなかった典範が、戦後、国会で審議できる法律となったため、今回のように御意思を発せられれば、国会が法律で対応することが可能になったという意義は、今後のわが国の歴史をどのように揺るがすことになるのか、御代替りを前に、天皇とは何か、天皇となる資格は何か等々、多くの議論がかまびすしいことでした。

 

  2.山本七平著『現人神の創作者たち』

 私がこの事態について是非意見を拝聴したいと願ったのは、故山本七平氏と渡辺京二氏でした。
 山本七平氏の『現人神の創作者たち』(昭和58年、文芸春秋刊)のあとがきに「私が3代目のキリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に『現人神』を意識し、これと対決せざるを得なかった」と語っておられます。同氏は大正10年(1921)生まれで、平成3年12月10日に逝去されました。同著で扱われた主な儒者、思想家を生年順に並べ、その簡易な要点を以下に記します。というのは、戦後20年以上もの久しい年月をかけて、近世初期の儒教関係の書籍の山を山本氏は、1人で黙々と踏み分け、まるで当時の幕政とそこに広がる鋭才たちの作り上げている文明模型をきれいに腑分けして、私ども初学の徒に示してくださっているかの感銘に満ちているからです。生没年と特徴ある事項をメモ書きします。

a)1583(天正11)年―1657(明暦3)年
  林 羅山(道春) (はやし・らざん)
 藤原惺窩(ふじわらの・せいか)に朱子学を学ぶ。神儒一致論(理当心地神道)。『本朝通鑑』、『本朝神社考』。
b)1600(慶長5)年―1682(天和2)年
  朱 舜水 (しゅ・しゅんすい)
 万治2年(1659)明朝回復を断念して長崎に亡命。寛文5年(1665)水戸光圀の賓師に迎えられる。古学研究の儒者。
c)1618(元和4)年―1682(天和2)年
  山崎闇斎 (やまざき・あんさい)
 土佐の谷時中に南学派朱子学を学び、還俗して吉川惟足に神道を学ぶ。神儒一致の垂加(すいか)神道を創唱、崎門学派・門弟6千人。『文会筆録』、『垂加文集』。
d)1619(元和5)年―1691(元禄4)年
  熊沢蕃山 (くまざわ・ばんざん)
 池田光政に仕う。3千石の番頭に抜擢さる。時処位論、水土論。『集義和書』、『大学或問』。
e)1622(元和8)年―1685(貞享2)年
  山鹿素行 (やまが・そこう)
 儒者・兵学者。日本古代の政治理想の実現を説き、日本こそ「中国」とする。日本中華主義。朱子学を批判したため赤穂へ配流さる。『中朝事実』。
f)1627(寛永4)年―1705(宝永2)年
  伊藤仁斎 (いとう・じんさい)
 朱子学を批判、古義学を提唱。「論語」と「孟子」を絶対視。『論語古義』、『孟子古義』
g)1650(慶安3)年―1719(享保4)年
  佐藤直方 (さとう・なおかた)
 崎門三傑の一人。闇斎の神道説を批判して破門さる。赤穂浪士を論難。『韞蔵録(うんぞうろく)』。
h)1652(承応1)年―1711(正徳1)年
  浅見絅斎 (あさみ・けいさい)
 崎門三傑の一人。闇斎の神道説を批判して破門さる。生涯仕官せず。『靖献遺言』は尊王論に大きく影響。門人に三宅観瀾(m)、若林強斎(n)がいる。
i)1656(明暦2)年―1737(元文2)年
  安積澹泊 (あさか・たんぱく)
 朱舜水に学び、水戸彰考館総裁として大日本史編纂に尽力。『烈祖成績』、『大日本史山藪(さんそう)』。
j)1662(寛文2)年―1741(寛保1)年
  三宅尚斎 (みやけ・しょうさい)
 崎門三傑の一人。『狼疐録(ろうちろく)』、『黙識録』。
k)1666(寛文6)年―1728(享保13)年
  荻生徂徠 (おぎゅう・そらい)
 古文辞学派の祖。「論語」を中心とする仁斎の古義学派を批判。六経の正確な理解をもとに先王の道を明らかにする新たな古学を主張。『蘐園(けんえん)随筆』、『論語徴』。
ℓ)1671(寛文11)年―1706(宝永3)年
  栗山潜鋒 (くりやま・せんぽう)
 闇斎門に学び、彰考館に入り、元禄5年(1692)総裁となる。『倭史後編』、『保建大記』。
m)1674(延宝2)年―1718(享保3)年
  三宅観瀾 (みやけ・かんらん)
 浅見絅斎(h)、木下順庵に学び、元禄12年(1699)光圀に仕え、彰考館総裁となり、大日本史編纂に携わった。正徳1年(1711)白石の推挙で幕府儒官となる。『中興鑑言』。
n)1679(延宝7)年―1732(享保17)年
  若林強斎 (わかばやし・きょうさい)
 絅斎(h)の後継者、望楠軒と号す。垂加神道説を玉木葦斎に学ぶ。『若林子語録』。

 

  3.前期水戸学の鋭鋒

 山本七平氏が読破したのは、以上14名の儒学者の著作物だけではありませんが、主として17世紀、江戸前期の儒者・朱子学者たちの思索を極めて丹念に理解した上で、幕末の尊王論の誕生理由を始め大政奉還の真意等を摘出して見せてくれました。
 安積澹泊(i・あさか・たんぱく)は元禄6年(1693)、水戸彰考館の総裁となり、藩主光圀(みつくに)のもと、大日本史の編纂事業に従事し、その主導的役割は高く評価されています。彼が力を注いだ「論賛」は日本史における天皇の誤ちを評論、糺弾するものでもあり、「豈(あに)、帝未だこれを思はざりしか。」(後醍醐天皇紀の賛)と論断するもので、儒教的正統論をもってする”歴史の誤ちを糺す歴史観の構想、構築”の思考は、のちに潜鋒(ℓ)や観瀾(m)の激しい”天皇失徳”を諌める思索と言説を助長することになります。
 『保建大記』を著した潜鋒(ℓ)は、保安4年(1123)から建久3年(1192)に至る政治の変遷を漢文体の史書として執筆しながら、「臣愿(すなお)曰」と言う論評を加えて論述します。つまり、院政期の争乱から武家政治の成立までの波瀾に富む時代を、儒教的尺度で為政者の有徳または失徳を論評することによって、朝廷政治衰退の原因を崇徳上皇と後白河法皇の不徳による綱紀弛緩に求める一方、君臣の名分を乱した源頼朝の不臣の罪をもあわせ糺弾し、その反省の上に「朝廷の政権回復のための処方箋」(山本七平氏)を示す意図を持つものでした。
 南北正閏問題に関しては「わが邦の百王の授受する三種統一の道器」(保建大記)つまり、三種の神器の存在する南朝を潜鋒(ℓ)は、正統としました。観瀾(m)もまた南朝を正統と断定しますが、その理由は「正統は器にあらずして義にあり(正統在義、不在器)」と『中興鑑言』で指摘します。中興は後醍醐天皇の建武中興を指し、鑑言は中興の完成しなかった理由を明らかにし、戒め(鑑)となる言説を述べるという意味です。その総論の現代語訳(注1)から。

 後醍醐天皇は徳義に怠りたまわることが多い。志に満ちて欲心がほしいままにあって、徳を治めたまう本が乱れて、手本が異ってしまった。これでどうして朝廷と民を正しく救うことができようか。また、法律が乱れ、統治が正しくなく、よからぬ者が用いられ、正しく諫める者はあるかなしかの如くである。これでどうして国を治めて万機に政を操ることができようか。そうして、祖宗の偉業がくずれて再び盛んにならず、幾多の忠臣義士や罪のない民が槍や弓で命を落とし、あるいは生活難に陥り、禍が長く連なって止まないのである。誠に慎まなければならないことである。その徳を一々述べると、利(欲心)ということに尽きるのである。

 「あるべき天皇像を求める歴史観」(山本氏)が、前期水戸学の主潮となって行きます。光圀の賓師に迎えられた朱舜水(b)に教えを受けた澹泊(i)及び潜鋒(ℓ)や観瀾(m)は水戸彰考館の総裁をつとめ、大日本史の編纂に従事しました結果、朱子学的名分論を基調とした思想が形成されました。後期水戸学は寛政期(1789~1801)以後、藩主斉昭(なりあき)を先頭に藤田幽谷・藤田東湖・会沢安(正志斎)らが尊王攘夷を核とした国体論を展開し、幕末の尊王攘夷運動の理論的支柱となりました。『現人神の創作者たち』では、この後期水戸学については、前期の考証に較べてそれほど丁寧に扱ってはいません。

注1.
『かたくなにみやびたるひと、乃木希典』(平成30年、展転社刊)、P157より引用。乃木大将は殉死前の大正元年9月11日に東宮御所において、『中朝事実』(ℓ)と『中興鑑言』(m)を皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)に奉呈されました。

(令和2年8月2日記)

funpun・yawa
mudou raisei
vol.9-1



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