ページ
TOPへ
魂の行方、国の行末 無動来西
遺族の遺言

遺族の遺言 その5

本間尚代

  『英霊に贈る手紙』顚末

 終戦70年を翌年に控えた平成26年に、靖國神社遊就館特別企画として、「英霊に贈る手紙」の募集がありました。曙光会会員8名も応募しましたが、残念ながら誰も入選は叶いませんでした。私は小川晴子さんと共に締切間際の応募でしたので、誰が応募されたのかも入選者の氏名を記した本が届けられるまで全く知りませんでした。
 『英霊に贈る手紙』は平成27年1月1日、青林堂から刊行されました。
 靖國神社から入選作の奉告祭と披講の案内状が届きましたので、平成27年3月出席しました。式典終了後、靖國会館偕行の間に於いて直会が行われました。当時の徳川康久宮司にこの企画を考えられたのはどなたですか、私は御礼を申し上げたいから、とお尋ね申し上げましたところ、若い神職ですと教えて下さいました。お名前は教えていただけませんでした。そこで、12、3名の者が、入選作ばかりでなく、応募者全員の”手紙”を書籍にまとめて下さいませんか、ご無理ならDVDに納めるだけでも結構ですからお願いできませんか、と懇願しました。この”手紙”は全て遺族の貴重な、生きた歴史ですし、将来にわたって靖國神社の財産にもなることでしょうと再三お願いしましたが、予算がないの一点張りでした。神社の予算を当てにはいたしません、書籍になれば、応募者全員が5冊、10冊と購入するでしょうし、『英霊の言乃葉』のようにいくつかに分冊して遊就館に入選作の本と一緒に並べて販売されても良いでしょうなどと、各々が訴えましたけれども、ついに思いやりのある言葉をお聴かせいただけませんでした。ただ、”手紙”の展示が終ったら、一室を設けて、いつでも誰でも読めるようにすると約束されました。
 私は時間を作っては、その一室に通い、200名程の方たちの手紙を拝読しました。高校教師だった友人や、友人の息子さんの中学校教師の方も展示を読まれて、『英霊に贈る手紙』を購入してくださいました。そして、これは中学校の副読本にふさわしい、生きた教科書だと感激して、ぜひ何とか全部の手紙が本にならないものでしょうか、と言ってくださいました。私も手紙を読み進めるうちに、同じ世代、同じ境遇で育った者同志、自分のことと重なってしまい、何度も涙で目がかすみ、文字が見えなくなったことか、胸を突かれながら読みました。
 しかし、忙しい日々が続き、ようやく遊就館へ行きましたら、”手紙”は全部、その一室から消えていました、徳川宮司からは暮れまでは展示しているとお聞きしていましたのに。その後、偕行の間で徳川宮司とお会いしたあと、選者のお1人であった佐藤緋呂子さんが私たちの側に見えましたので、”手紙”全部の出版について頼ませていただきました。佐藤さんいわく、誰を選ぶかなどとてもむずかしかった、皆んな入選にしたかったと仰られました。
 また、遊就館に応募原稿を見せてくださいと頼みましたが、私と同様大変嫌な思いをされた方が、姉の原稿を見ることがなぜそんなに難しいのか、不思議でならないと嘆いておられました。ある人は、神社にとって残せない原稿もあったので、本にはできないとも説明され、どんな原稿だったのかしら、きっと立派な文章で、神社に都合の悪い内容だったかもしれませんね、と笑っていました。さらに、応募原稿は神社にいただいたものなので、当方の都合で処分したとしても問題はなく、むしろ、コピーを取っておかなかったことが間違いでしょうと言われましたが、応募した遺族たちは皆んな”手紙”を書き上げることが精一杯で、コピーをするようなことに気が付かないのです。そうこうしているうちに、この企画を発案した後藤智司さんに会えましたので、立派な企画をありがとうと御礼の気持ちをお伝えし、どうしてあなたのことを誰も教えてくれなかったのでしょうか、と尋ねましたら、黙って頭を傾けていました。何人もの方々が応募原稿を読みたいと希望されていますが、どうすればよいのか、あなたも知らないの、と尋ねましたら、遊就館にありませんか、と逆に聞かれました。
 結局、神社には横の繋りのないことを知りました。一度きりでしたが、遊就館で某氏の遺族の方の手紙を見せて下さいとお願いしたところ、コピーを取って下さったことがありました。その神職さんは退任されたのか、お会いすることがなくなりました。『曙光』の会報やその記念号などをDVDに編集してくれました会員が、”手紙”の原稿を何とかお借りして遊就館で他の本と一緒に並べられるよう、DVDを奉仕で作らせてもらえないか、と申し出てくれました。まさか、いくら靖國神社の歴史を知らない若い神職でも、これだけの大量の資料(手紙)を処分したとは考えられないのに、「原稿はない」と言うのはあまりにもおかしいと言うのです。今は、マイクロフィルムで記録保存することもできますし、そのデータをフロッピーディスクに取り込むことで、半永久的な資料保管もできるし、そうしておけばいつでも必要なときに閲覧することができます、とも言うのです。
 新聞記者や雑誌記者の方たちに『曙光』に掲載した”手紙”のコピーを見せますと、靖國神社だから600人からの応募があったのでしょう、我々の所で募集しても半分も集まらないと思いますし、遺族の方たちの思いを考えれば、入選だ選外だなどと言わず、全部を書籍に収録して後世に残すのは、靖國神社の本来の義務、責務だと思う、と話されました。この手紙が遺族たちの生きた、誇らしい歴史を語っている貴重な価値に満ちていることを靖國神社では分からないのか、と現在の神社の内部を見ぬいているように話す若い記者もいました。これだけの資料を埋もれさせては勿体ないし、今後再びこれほど多くの応募者を期待することは絶対にできない、ととても残念がってくださいました。
 さらに、その若い記者は、『英霊に贈る手紙』を手に取ってページを繰りながら、私の友人と同じ指摘をされました。この本は片寄っている、編集が恣意的すぎる、なぜなら、1柱の英霊に対して、2人の入選作が掲載されている、1人の命(みこと)に兄弟2人の手紙が載っていたりとあまりにも公平さを欠いていることを指摘されました。靖國神社の募集だから軍人の鑑とされるような方々を優先的に選んだのかもしれませんが、重複の分をせめて一兵卒として散華した方々の遺族の手紙を選ばれたらよかったと思いますし、それによってその遺族の方たちもきっと喜ばれたと思います、と語られました。
 昨年(令和元年)9月、神職の高橋大輔さんが若い命を自ら絶たれました。高橋さんが奉職されて間もないころ、フィリピンのルソン島への慰霊巡拝ツアーに付き添われることがありました。私は別行動でしたから、帰国後の慰労会に参加された高橋さんと向い合わせの席になり、巡拝の報告など教えていただいて以来、顔見知りとなりました。偶然なことに、亡くなられる1週間程前に私の知人が遊就館を訪れたとき、応待に出てくださったのが高橋さんでした。知人は自分の友人が応募した手紙の原稿を見る必要があり、遊就館へ来られたのです。名刺をいただいたら、確か同姓同名のフィギュアスケートの選手を思い出したので、高橋さんのお名前が胸に刻まれましたと言っていました。閉館近い時間となりましたが、少しお待ちくださいと奥に入り、手紙のコピーを取ってくださり、そのままだと文字が小さくて読みづらいでしょうからと、拡大コピーをしてくださいました。この部屋に最初展示されていましたと案内してくださり、次の部屋に移ると、飾られている写真の1枚1枚の説明にも英霊に対する心からの感謝がにじんでいて、このような方の奉職を心からありがたいと思いました。もう時間でしょうと遠慮申し上げましたが、まだ大丈夫ですよ、と丁寧にお話しくださいました。長い間、靖國神社の参拝を続けて来、遊就館の拝観も何度も経験していますが、高橋さんのような立派な神職にお会いしたのは初めてでした。とうとう閉館となり、正面入口は閉まってしまいましたので、別の所から退出させていただきましたが、館外に出るまで見送ってくださったことを知人も大層よろこんで、その日の晩に電話でお世話になったことを話してくれました。
 最近は靖國神社の神職のことでは、ほとんど良い話しも聞きません。私の知らなかった高橋さんの一面を教えていただき、とても嬉しい思いをしていましたので、訃報を知って驚きました。しかし、自ら命を絶たれた理由の事情についてどうやら隠蔽されていて、同僚や友人から手を合わせて貰えないと知り、可愛相で、気の毒でなりませんでした。
 確か6月頃でしたか、肩を落として考え事をしながら遊就館へ向かう姿をお見かけし、声を掛けそびれてしまいましたことを後悔しています。案内をしていただいた知人は、その直後、すっきりと研ぎ澄まされた表情をされ、深く何か考え事をしているように見えたと語っていました。私の知人の案内の折には、すでに覚悟を定めて最後の仕事を全うされたのだと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 靖國神社の御祭神は、国に命を捧げられた246万6千余柱の方たちの御霊です。英霊のことを理解しているのかどうかも分からない神職たちに、高橋大輔さんの清廉さを話して聞かせたいと切に思います。手紙の原稿は無いと言い張っていたのに、高橋さんの一件があったお陰か、一部か全部かは分かりませんが、存在しているとの情報に接し、私は遊就館を訪れました。受付で『英霊に贈る手紙』の原稿を見せていただきたいと伝えますと、困った顔をして2人で何か話していましたが、結局私たちでは分からないと言うのです。最近高橋さんからコピーをいただいた人がいますよ、と言うとどこかに電話をしていましたが、しばらくすると課長が来ますからお待ちくださいと言われました。すると、怒ったような苦虫を噛みつぶしたような顔で神職が出てきました。挨拶を申し上げると、課長の樋口と名告ってくれたのはいいのですが、いきなり高橋さんが亡くなられたことについて言い訳を始めたのです。けれども、モゴモゴと声が小さく、補聴器をつけても私にはよく聞きとれませんでした。高橋さんのことはお気の毒でしたと頭を下げましたとき、アッ、この人は亡くなられた原因に関わっているに違いないと直感しました。私も原稿を見たいのですとお願いすると、さも面倒くさそうに、受付の女性に向かって、「あれもうないよな―」と言ったのです。受付の女性が何かを伝えると、後方は倉庫なのか、3人で入って行きました。受付の仕切りの中の椅子に私は座って待っていました。しばらくして、課長氏は2つの綴りを抱えて出て来ましたが、私の目の前のテーブルに立ったまま、放り投げるように、「これだけ」と言うのです。随分失礼な人だと思いましたが、御礼を申し上げ、今日は3時半を過ぎていますので、私の方は構いませんが、4時閉館でしょうから、後日あらためて見せてくださいとお願いしました。すると、怒った口調で、「今見なければ駄目です。明日はどうするか分かりません。」と言われ、口をあんぐりで、課長氏を見上げていました。仕方がないので、4時まで閲覧させていただきますが、お返しするのはどうしたら良いでしょうか、と伺いますと、「受付に」と言って去って行きました。
 手紙を綴った2冊はどうやら後ろの部分の綴りでしたから、前の方の分もあるのかしら、それとも他は処分されてしまったのかしらと疑問が残りました。しかし、新たに知人2人の原稿を拝見することができ、感動しましたが、応募した全員の思い、1人1人の真心がこもっておる手紙だと神職たちは理解できないのでしょうか。応募で靖國神社に貰ったものだから、どう扱おうが勝手でしょう、という態度はいかがなものでしょうか。高橋さんのすがすがしい応待を知人から聞いている私は、心の中で「高橋さん、ありがとう、大変でしたね。」と御礼を申し上げました。
 『英霊に贈る手紙』のことでは、遊就館受付でも売店でも無造作に廃刊と言われた人がいたり、神職ばかりか、職員に至るまで、自分の仕事に何ら責任感を持っていないことも知らされました。祀られている御霊が粗末に扱われているように思われ、遺族の1人としては悲しく悔しい思いがしきりに込み上げてきます。『英霊に贈る手紙』が全手紙の一部分であっても、刊行されたお陰で、「遺族の遺言・第1話」の父のことや氏名の誤記されている7200名からの英霊が放擲されたままであることを知ったことは感謝しています。1日も早く、7200名からの御霊が安らぐことのできるように毎日、祈っております。

(令和2年5月10日記)

izokunoyuigon
honma takayo
vol.5

 

 告知   

曙光会々員たちの『英霊に捧げる手紙』19通を以下の予定で掲載致します。

英霊に捧げる手紙(全3回・19通)

●6月15日

第1通・「顔も知らないお父様へ」小川晴子
第2通・「おじいさんのお話聞きたい」甲斐聡美
第3通・「災難続きを克服して」九ノ里俊一
第4通・「お父さんへ」谷口芳枝
第5通・「父が帰って来た夢を見る」土屋房子
第6通・「お父様に申し上げる言葉」新田和子

●7月6日

第7通・「恋しさ募るお父ちゃまへ」本間尚代
第8通・「父さん、母さんは103歳で元気よ」大田旬子
第9通・「父さんのおこころ、私の大切な宝物」大脇芳子
第10通・「命日の八月一日は靖国神社へお参り」荻原悦子
第11通・「一緒にお酒も飲みたかった」金森武士
第12通・「一通だけ残る手紙に私宛の訓戒も」亀井亘

●7月13日

第13通・「小林家再興、孫、曽孫は8人です」小林敦子
第14通・「お父さんが撮った私と母の写真」高木美子
第15通・「無言館で年雄兄さんを偲びます」鳥屋ヨシ子
第16通・「父上、あなたの知らない話三つ」牧野弘道
第17通・「飛べ! バタンガスのバラよ」クリム洋子
第18通・「つながり」阪本征夫
第19通・「靖國に眠るお父さんへ」田村治子

*曙光会は、フィリピン戦従軍者と戦没者遺族を中心とした者の集りで、戦争体験の記録と日比友好親善を目標としています。



pocket line hatebu image gallery audio video category tag chat quote googleplus facebook instagram twitter rss search envelope heart star user close search-plus home clock update edit share-square chevron-left chevron-right leaf exclamation-triangle calendar comment thumb-tack link navicon aside angle-double-up angle-double-down angle-up angle-down star-half status