分分夜話 第7話
無動 来西
環境問題への視座、子孫たちのための
新型コロナウィルス感染症について
――本稿”『西暦2000年の地球』”に入る前に――
感染が広がる新型コロナウィルスに対し、外出自粛などの防止策を何も行わなければ、流行開始から収束までに、人工呼吸を必要とする重篤な状態になる人が15~64歳で約20万人、65歳以上で約65万人に上る恐れがあるとの推計が公表されました。その49%の約42万人が死亡するとされる試算を示されたのは、厚生労働省のクラスター(感染者集団)対策班の西浦博北海道大学教授です。
今から40年前のカーター大統領への報告書、訳書名『西暦2000年の地球』には、50万~200万種(しゅ)の絶滅が予測されていました。ヒトも犬もそれぞれの種(species)に属しているように、地球にどれほどの生物種が存在してきたのか、そのうち産業革命以来今日までどれほどの生物種を絶滅させてきたのか、どこにも正確な調査研究はありません。ただ『西暦2000年の地球』のレポートは40年前のものとは言え、今まで推計されたどの資料よりも膨大で精確なものです。生物種は必ず隣合う生物種とともに生きています。食物連鎖(しょくもつれんさ、food chain)もそのひとつです。したがって仮に100万種の生物(目に見えない細菌なども含めて)がヒトの近くから消えているとしたら、そこに今までとは異なる生物環境が出現している、あるいは出現しつつあると考えるのは自然です。
中東呼吸器症候群(MERS)、重症急性呼吸器症候群(SARS)、エボラ出血熱などは動物由来感染症として記憶に新しいものですが、それらの隣には、細菌や寄生虫など数えきれない生物が生きています。それらのすべてがかつてどのような環境下で、絶対的ではないにしろ、安定を保っていたのか今では永遠の不明事項になってしまいましたが、新型コロナウィルスがヒトにとって最も手強い生物であるという保証はどこにもありません。むしろ、今後どのように変異するのか、といった近未来の不安も深刻です。このウィルスを完全に撲滅することはできませんし、またその営みによってどのような新興感染症のウィルスが生まれて来るかも予測できません。
浮足立った言論ばかりが目に付く日々ですが、4月16日の近藤誠一氏(元文化庁長官)の「正論」・『感染症と共生する知恵の蓄積を』(産経新聞)は、文字通り正論と思われます。その末尾から。
文明の力で感染症をねじ伏せようとするだけでは問題は解決しない。戦いはエスカレートし、パニックが人類を自滅に追い込むだけだ。文明や人類への過信を反省し、ウィルスと共生する知恵を蓄積することこそが賢い道なのだ。
その「賢い道」が鎮守(ちんじゅ)の森へ辿り行く道だと教えてくださったのは、『生きものの条件(植物生態学の立場から)』(柏樹社、昭和50年刊)の著者、宮脇昭先生でした。40数年昔の出会いでした。
環境問題への視座、子孫たちのための
(1)『西暦2000年の地球』から
環境問題の将来予測に関する最も大きく、詳細精緻な報告がなされたのは、カーター大統領の任期中(1977年1月20日~1981年1月20日)のことでした。1977年(昭和52年)5月、大統領の命令で、ホワイトハウス直属の環境問題諮問委員会(CEQ)が国務省と共同して調査分析に着手し、1980年(昭和55年)7月に完成しました。これが”The Global 2000 Report to the President … Entering the Twenty-First Century”、訳書名『西暦2000年の地球』という報告書でした。完成当初の原文は通産省が禁閲覧の扱いとしましたので、住民運動に拘っていた人々は米国からコピー(青刷り)を取り寄せ、自ら和訳するしか閲覧のすべはありませんでしたが、ほどなく訳書が家の光協会から刊行されました。なお現在に至るまでこのレポートを越える調査報告は行われていません。
昭和40年代の和歌山市の環境破壊、環境汚染は三重県四日市市のそれを上回る深刻なものでした。住友金属の公害問題を始め火力発電所建設計画、港湾埋立て計画等々、その具体的な変遷と問題点についてはようやく平成29年に上梓された梶川哲司著『和歌山の公害――海岸線の埋立て開発をめぐって――』(ウィング出版部刊)において検証されました。梶川哲司氏と私はともに故宇治田一也先生の教え子でした。『20世紀日本人名事典』に同先生について次のように紹介されています。
宇治田一也(うじたかずや)
昭和期の市民運動家。生年大正14年(1925)7月2日、没年昭和59年(1984)12月3日。京都大学文学部哲学科中退。
保田與重郎(よじゅうろう)に師事し、反近代化の影響を強く受ける。昭和30年(1955)に帰農。昭和43年住友金属和歌山製鉄所の埋立てに反対し、”海を返せ”運動を開始。昭和44年に33日間にわたるハンストを決行して磯浦海水浴場を守ったのをはじめ、和歌浦埋立て、多奈川第2火力発電所建設などの反対運動の先頭に立った。”新しい文明を考える会(NKS)”を主宰、環境破壊反対の住民運動を続ける。
住友金属和歌山製鉄所の拡張海面埋立工事に反対して、宇治田先生は木本八幡神社に参拝したのち、昭和44年3月4日に無期限のハンスト(ハンガー・ストライキ、絶食して抵抗、抗議すること)に入られました。「6万市民の署名の心!!これ以上の埋立反対。最後の海水浴場を守れ」の立看板のかたわらには日章旗がひるがえり、先生自身は日の丸の鉢巻きをして、小さなテントに籠もり、口にするのは毎日1升近い水のみで断食を続けられました。その33日間に及ぶ抗議の詳細は、元朝日新聞記者、松本英昭氏の『海があちらへ死んで行く――早すぎた「自然を守る」闘い――ハンスト33日間の記録』(昭和45年10月刊)に明らかになっています。18歳の私はこのテントに毎日のように詰めて、雑用係をしていましたが、保田與重郎先生がひどく心配されているようだから、私に現状をお知らせするようにと宇治田先生から依頼され、京都洛西鳴瀧の保田先生宅を訪れましたのは、多分ハンストも10日以上経ってからのことであったと思います。日本浪曼派の総帥と評される文芸評論家の保田先生にこの日より私も師事することになりましたが、やわらかな関西訛の言葉づかいが今も耳朶に残っています。
さて、苛酷な環境問題に日夜取り組まれてきた宇治田先生はよく「この文明から公害という刺(とげ)だけを抜き去ることができるか」と私どもに問われ、近代文明(現代文明)の内包する諸問題への分析と解明を示唆され続けられました。その過程で『西暦2000年の地球』は多くの環境上の危機的状況を報告しており、宇治田先生はこれを”亡びの時刻表”と読み取られました。その要約を紹介します。
<結論>
もし現在の傾向が続くならば、西暦2000年の地球は、もっと混乱し(crowded)、もっと汚染され(polluted)、もっと生態学的に不安定となり、もっと破壊に対して脆くなり、もっと多くの点で貧しくなる。
総じて、人々の生活は今よりも一層 precariousな(危なっかしい)ものになるだろう。
<要点>
西暦2000年には、人口は1,5倍となり、地球上には60億人以上の人が住むことになり、1人当りの耕地面積は、0,4haから0,25haに、即ち30%以上が減少する。と同時に、その他の肉食化、異常気象、石油づけの生活等の影響を受けながら、飢えに苦しむ人口は6億から13億人以上に増加する。
また、1人当りの水の供給量も30%以上減少し、砂漠の拡大は、1年間に日本の全耕地面積程(600万ha)が加速されつつ進み、西暦2000年には20%増加し、世界の森林の半分を占める開発途上国の森林は、40%消滅し、1人当りの立木量は世界全体で47%減少し、2020年までに途上国の物理的に接近可能な森林は絶滅する。米国ではすでに30年前から表土の3分の1の流失が警告されていたが(これは機械文明の自殺行為に他ならない)、西暦2000年までに、表土は数インチ流亡する。(4インチとして約10cm)〔注。表土が1cmできるのに100年から400年を要すると言われる。〕
水産資源は、沿岸域の急速な破壊の影響を受けて、少なくとも1人当りの供給量は減少する。これに対して、海洋が毒のスープになろうとしていることが、仮に観察されたとしても、世界の全ての国がこれに対応するのに、一体どれだけの時間がかかるのであろうか。(”地球は水球”であるのに。)
耕地は、塩分集積、化学肥料の投入等によって、生産力に換算すると100万エーカー(40万ha)が毎年喪失し続け、この20年間で4000万人分の耕地が失われる。種(しゅ)は20%が絶滅するという”有史以来の暴挙”に見舞われ、50万~200万種の種が姿を消す。このような点と平行して、南北の貧富の格差は1対11から1対14以上に広がる。
原油生産は1990年代には遅くともピークを迎えるが、大気中の炭酸ガス濃度は、21世紀半ば頃に現在の2倍となり、異常気象が常態となり、食糧危機が加速されると注釈される。
さらに、原子力発電から生ずる放射能廃棄物のすべてが、事故を起こすことなしに、安全に貯蔵され、かつ処分されうるということは、いまだに証明されていない。
以上が40年前にアメリカ政府の行った調査の報告書について、宇治田先生が整理された内容から拾わせていただいた要点です。ただし、(1)政策に大きな変更がないこと、(2)革命的な技術革新及びその利用の速度に変化がないこと、(3)戦争や大恐慌が発生しないこと、この3点が前提条件とされています。
しかしながら、現在の文明が内包している傾向を考慮した上で、このアメリカ政府の報告書を再々度読み返すならば、21世紀には、年々に紛争、戦争の原因が増加して行くと同時に、人類生存基盤の崩壊が日一日と加速されていると結論せざるを得なくなるとの宇治田先生の示唆を思い返し、”亡びの時刻表”の公表後40年経って、私たちはまた、改めて内容のその苛烈さを認識しなければなりません。このレポートを訂正するほどの改善策は40年経った現在、何も実施されていません。
東京電力の福島での放射能汚染、異常気象による水産資源の変動、生物種の急激な減少に伴うコロナウィルスの大発生、プラスチックゴミによる海洋汚染等々、すべて40年前に予測されていたにも拘らず、私たちは目の前にある危機を先送りにする罪を犯しつづけてきました。『西暦2000年の地球』レポートがアメリカのカーター大統領に報告された1980年(昭和55年)に生まれた人々はすでに40歳をすぎ、孫の顔を見ようかという世代に入っています。
環境破壊から目をそらすことなく、この40年間に誠実で本質的な考察を示されてきた方たちも多くおられます。例えば、『石油と原子力に未来はあるか――資源物理学の考え方』(亜紀書房、昭和53年刊)や『石油文明の次は何か』(農山漁村文化協会、昭和56年刊)などの著者、槌田敦氏や『君はエントロピーを見たか?地球生命の経済学』(創拓社、昭和58年刊)の著者、室田武氏をはじめ『鎖国の経済学――オルタナティブ・エコノミクスを求めて』(宝島社、昭和56年刊)の著者、大崎正治氏など多くの深い憂心を持った研究者たちは、わが国の将来を考えるためには必ず教えを乞うべき偉材です。
しかし、世界に誇れる優れた見識の数々が現実の工業社会の改善をほとんど何もなし得て来なかったのは、いくつも理由を指摘できると思います。例えば、昭和40年(1965)パキスタンのブット外相が日本の経済進出のあり方について、エコノミックアニマル(economic animal)と指摘したときの恥しさは、なり振りかまわず戦後の復興を進めてきたことを反省させるものでした。戦前の道徳観や倫理観をことどとく蔑み、反戦平和を唱えることを免罪符として、ひたすら経済成長こそが国の進むべき方向と信じてきたことが、今の豊かさを失いたくないとするばかりの大消費社会を出現させてきました。この結果、環境問題をどこかへ棚上げしてしまう思潮が一般となって行きました。しかし、そのような理由の中で、最も肝心な点について触れて、本稿を一旦閉じたいと思います。それはこの身を捨ててでも子孫たちのためになさねばならないことを誰もが忘れたからです。
マスコミと同様に、拉致被害者とその家族たちの悲しみを多くの国民がどこかへ棚上げしてきた40年間の罪深さこそ、その最たることのひとつであると私には思われてならないのです。そしてこの無関心の底流には幕末以来、国の独立と植民地主義者をアジアから駆逐する戦いに人柱となって行った多くの先人たちを忘却している、戦後70年にわたる軽薄さが滔滔と流れているのではないでしょうか。
植民地主義者からの解放の戦いは、まだ終わっていないと思考するのが、保田與重郎先生の『絶対平和論』や『明治維新とアジア革命』等の著作です。「その頃に於ける我々の表現は、アメリカニズムと、ロシア的共産主義とを一挙に消滅させるといふことだつた。一ぺんにやつつける、といふのがこの素朴な表現である。この2つは矛盾する関係でなく、ともに”近代”の双子である。」と『日本浪曼派の時代』(昭和44年、至文堂刊)で保田與重郎先生は大東亜戦争の前夜、昭和10年(1935)代を回想されています。
参考.保田與重郎全集・第25巻(昭和62年講談社刊)所収、『絶対平和論』(昭和25年執筆)、『明治維新とアジアの革命』(昭和37年執筆)。
(令和2年4月15日記)
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vol.7
